去年の話と今年の話:さよなら2023、こんにちは2024

 

さて。

 

新年が明け、これまで以上に凄惨な日々が始まっておりますが、皆様、如何お過ごしでしょうか。

 

私は、元気、とは言い難いですが、ようやく文章を書けるくらいに動けるくらいまでには心が回復し、これは日常かな、といった感じです。

 

といったところで、過ぎ去った日々の振り返りなのですが…

 

…一昨年は、比較的良い一年だったな、という気持ちがあった一方、去年は色々と上手くいかなかったな、という思いが強いです。

 

自分自身のおっきなやらかしが一件、人間関係にやられたのが二、三件、そして世界に押しつぶされそうになったのがちらほら。

 

正直、詳しくは書かないのですが、やっぱりコロナ禍が終わって、あらゆる事が、失った三年間を取り戻すべく、忙しなく動きはじめた、というのは色々と去年、疲れ果ててしまった主因だろうな、と。

 

あまりこういうことは言うべきではないのでしょうが、コロナのおかげで、ゆっくりと時が流れてくれていたのに大きく救われていた部分はあるよな、と。それを老いと称するか、成長と称するか、あるいは、ライフステージの変化と称するかは人それぞれでしょうが、私が見ないようにしていた部分に否応なしに向き合わざるをえず、ただ、見ないようにしていたのは、それが痛むとわかっていたからで、ね、みたいな。

 

あとは、色々と人間関係も失敗していまして。一昨年の良かった点が自分を大切にしてくれない人たちから離れることだったのに、去年の私の大きな失敗は、自分を大切にしてくれない人たちと、趣味の領域にて利害関係を持ってしまったあたりだろうな、と。

 

会社ならば、多少、自分を大切にしてくれない人たちだろうと、ああ、資本主義が口を持ってるな、と、比較的、スン、っと受け流せるのですが(逆に、会社だと、悪意より、無能からの面倒の方が結構ストレスです)、趣味の人間関係でそうなってしまうと、逃げ場にて逃げ場がなくなる、本物の恐怖が襲ってき。

 

何が一番、誰が一番、怖かったかは表現が難しいですけど、幾つか、気付きが幾つかあったので、こちらは脚注で文字に残しておきます。*1*2*3*4

 

そんなこんなで、人間関係と共同体に苦心しながらも、共生にしがみつこうとして。そうでもしないと、暇と孤独、というか、純粋に寂しいという気持ちに押しつぶされそうになるから。*5 でも、結局その共生を、他者の問題もあれど、結局自分のせいで上手くできてないのをまじまじと見せつけられたのが、去年でした。*6

 

そういう意味では、最近、東浩紀が出した『訂正可能性の哲学』の話が実は結構、重要なんじゃないかなと思っています。結局、共同体 譲歩、妥協、謝罪、そして、互いが互いに間違った事を修正しようと努力する、あるは、端的に言うと、成長する。こういうのは、最近実はないがしろにされがちだけど、完璧でない人を貶めず、また、開き直らない為には、こういう事が重要だよね、という指摘は、そうかな、と思います。私は東浩紀という人物を倫理がないので嫌いなのだけれども、"Good deed does not wash out the bad, and the bad, the good."(良き行いは悪き行いを償わないし、悪き行いも良き行いを取り消さない)ですかね。古き良き、罪と罰、善行と報い。実際、「訂正可能性がある」、とはそういうことだしね。その文を書くこの場で実践できなくてどうするよ。

 

そんなこんな考えながら、トゥィットゥァーを眺めていたら、ある、言葉が好きで、敬愛している人が「私は下賤だとバレたくなかった。」という話をして、なんだかとてもよく腑に落ちました。*7

 

果たして自分が下賤だとしても、そこで開き直って自ら大路を走りたくはない。それでも天国に憧れたい。

 

少し時系列は遡ってしまうのだけれども、あるvの者にそんな感じのことをふわっ、っと包んでお悩み相談に出したところ、「愛されたかったの?」っと、一言で本質的な解答が来て、ああ、本当に。*8

 

下賤であることをばれたくない、けど、本当にほしいのは、自分を下賤だとしても、受け入れてくれる世界(共同体)では?っていうのは、まさしくなので、今年はホールデン・コールフィールドごっこをやめ*9トーマス・モアごっこを頑張りたいと思います。

 

トゥィットゥァーの話をしたので、ついでにしようと思うのだけれども、去年やった、頑張った大事な事といえば、やっぱり毎月やっていた月頭戦史で、通年で毎月、まとまったリサーチをやって、文章を書く、というのをやるのは、文章を書くクセを取り戻すのに、良い出来事だったな、と思う。この文章も、あそこであんなにいっぱい文字を書いてなかったら、きっとこんなに言いたいことが思い浮かんだり、書けたりしてなかったな、っていう意味では凄い感謝があります。

 

ただ、結局、筆が乗る時以外は書けないのは相変わらずで、ただ、書くことが、できるときが増えただけ、みたいな見方はあるかも?

 

それと、似たような話だけど、やっぱり毎月、記事を書くという形だけれども、(消費行動の対比としての)創作活動をやってると、やっぱ物作るの楽しい!っていう気持ちが湧いてくるのは、すごい楽しい。し、色々とやりたいことが出てきて、書きたい話がでてきて、やる気がある時は全部やりたくて、時間がほんとに足りない!ってなっちゃったり。

 

ただ、上に書いたことの半場トートロジーになってしまうのだけど、やっぱり毎月、まとまったリサーチを行ったまとまった文章を書くというのは、本当に永遠に続く焦燥感に悩まされ。各記事書くのに、休日がだいたい2日から4日間かかってて、それ毎月なので、割と本当に時間がなくて、ひーひー言ってて、なので今年は、ペースを落とす予定です。一応、第一回は3月予定で、そこから隔月にするか、四半期にするかは考え中ですが、他のプロジェクトもあるので、きっと四半期になりそうです。

 

あと、戦史を書いてることでちょっと悲しかったのは、「ああ、この人は戦争の話がしたいんだな」みたいな見方をされて、見限られてしまった事。もちろん、トゥィットゥァーの仕様変更だったり、あるいは私の最近の言葉が好きでなくなった、などの、他の理由があるにせよ、言葉が好きな人たちや、昔からのアニメ、ゲムー、ライトノベルのフォロワーさんたちから見放された(リムられた)のは、結構応えたり。窓辺からあなたの言葉が見えて、私の言葉を見られて、の関係が嬉しかったのに、あなたには二度と私の言葉は届かないんだ。

 

…さっきにもちょろっと書いたけど、自分が去る時に追われたくないから、離れる彼らに縋りたくはないのだけれども、悲しいものは悲しいので、悲しい。

 

 

 

それが、去年の大きな話。

 

あと、細々とした話をすると、お仕事も普通に忙しい一年で、新しい新人君との相性がこれまた悪かったのもあり、結構ストレスがあったかな。

 

全てが重なった結果、夏頃に難聴が再発した(右耳は相変わらずだいぶ聞こえづらい)上、片目が見えなくなった(今も日によっては見えない)のは、一つ、これ以上は無理だよ~、と体が悲鳴を上げたのは集大成?象徴的?なイベントだったな、と。

 

 

 

そんな去年だったので、今年はもうちょと良い一年にしたいな、という気持ちだったのですが、幸先は少し厳し目?見方を変えるならこの先今年は上にしか行かない!なのだろうけれども、そういうポジティブ変換の見方、あんま好きじゃないのよね。*10

 

 

 

ということで、毎年恒例、去年の目標の振り返りと、ヒットリスト確認、そして今年の目標設定のコーナーです!

 

去年の目標

・一年の抱負を元旦に書く

未達成。まぁ、仕方ない部分も…

・年間五十冊の読書量を維持する(二昨年はギリ達成、一昨年は未達)

41冊で未達。一応、漫画含まずなのですが、二連連続で達成できなかったので、ちょっとここは危機的ですね。

・戦史記事を毎月出す

達成。とはいえ、これのせいでほかが全部できなかった気も…

・週一で自炊する

途中、二ヶ月自炊しなかった(できなかった)時期があるとはいえ、一応、達成。

・映像作品の翻訳をする

部分的に達成、某英国ドラマを訳したので、まぁ、やりはしたのですが、目標量には到底足りておらず。

・某企画を完遂する

未達成。ちょっと、いろいろな方に迷惑をかけて、本当に、申し訳ない気持ち。

 

去年のヒットリスト

去年一番おもしろかったアニメは間違いなく、『氷剣の魔術師が世界を統べる』。賑やかで楽しいよ。

 

漫画は『魔法科高校の劣等生四葉継承編』。なんなら、魔法科高校の劣等生シリーズを全巻買ってしまったので、結構去年ハマってました。

 

今後注目の作品は『異世界バトルロワイヤル』かなぁ…?どちらかというと、去年は新しい作品というより、完結した作品が目立ったかな。短かったシリーズも含めると『スパイ教室:第二部』、『残り一日で破滅フラグ全部へし折ります』、『かぐや様は告らせたい』、『ジョニー・ライデンの帰還』、『JKハルは異世界で娼婦になった』、『機動戦士ガンダム0083 REBELLION』あたりが完結して、おー、といった感じ。とはいえ、JKハル以外の長年追ってた後者四作品は、結構肩透かしな終わりでは…

 

ちなみに、推し作品は、去年から変わらず、『アルバート家の令嬢は没落をご所望です』と『今年の三石さんはどこかおかしい』です。面白いよ。

 

ライトノベルは、乙甲つけがたいのですが、年末に読んだ『さようなら、私たちに優しくなかった、すべての人々』と『呪われて、純愛。』の二作品がとても良かったです。去年は結構、単巻完結モノが豊作だったイメージですね。他にもまだ積んでる作品含め、消化していきたいところです。

 

あと、関係ないですが、一昨年『カササギ殺人事件』を読んでからというもの、ミステリーを結構読むようになったのですが、長い学生時代、読書家がだいたい通るミステリーというジャンルにハマらなかったのですが、それが安全な場所から上から目線で物事を話す、探偵と存在が嫌いだからなんだろうな、と気付きを得たり。

 

本はさんざん訂正可能性の話をしておきながら、"Recognition and Ambivalence"かなぁ。(この本については思うことがあるので後々なにか書くと思う。)あとは、『セレンゲティ・ルール』もとても良いのだけれども、まだ読み終わっていないので、触れるだけにしておきましょう。ただ、何れにせよ、読書量の減少をなんとかしないと。

 

Vの者は、基本にじさんじのヲタをやっているので、基本にじでした。今年は結構、にじさんじ2023春デビュー組のIdiosの面々が結構相性がいい人たちが多くて、密かに推してます。倉持めるとさんと、石神のぞみさんが熱かったですね。あとは、ずっと推している人たちは、だいたい何時もの通り。辞めちゃった人と、少し離れちゃった人はいるけどね。

 

音楽は…色々聞いたけど、あんま強く印象に残ってるのはないかなぁ……?最近は

 

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を良く聞いています。『深海のリトルクライ』自体、かなり古い曲ですが、結構、解釈が違うというか、Mixの雰囲気が他のと違って、かなり新鮮な気持ちで聞けています。

 

あとは、全然違うところだと、ナナシスのKARAKURIに少しハマってます。

 

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ライブが去年あったに、知ったのがライブ直後で、かなり悔しい思いをしたり。

 

あとは、Stepil Dobriとか。

 

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今年は、もうちょっと音楽をdigってきたいですね。あと、ライブとかクラブにももっと行きたい。

 

ゲムーはマジでやってないのですが、呪詛吐きまくった『Armoured Core VI』を除くと、『Flash back』と『The King's Dilemma: Chronicles』あたりかな。『The Life and Suffering of Sir Brante』含め、これ系の記事は書きたい話ではあったり。あ、あと『MTG Arena』もやってたけど、これの記事は今度書く。

 

スポーツはF1、アメフト、野球あたりをよく見てたかな。F1は正直最つまらないシーズンだった上、野球は新井さんは頑張ったとはいえ、育成の一年+阪神が強かったので、まーしゃーなし。ただ、アメフトは今年は贔屓の49ersが1st Seedと好調でGOOD。アメフトというスポーツ自体、今の戦略トレンドが結構面白いので、これまた書きたい話ではあり。

 

今年の目標

・企画を三つ終わらせる

今年はこれを頑張りたいかな去年一年かけて、創作活動をやる文化を自分に復活させたので、これをベースに、作るということをちゃんとやりたい。

・企画その①:冬コミで『あの橋を超えて:マーケットガーデン前後史』を出す

ということで、情報公開です。知っている方は知って居られるでしょうが、しばらく前(三年前くらい)からリサーチをやっていた例の本が、マーケットガーデン作戦80周年企画として出す予定です。ちなみに、これ以外の企画は今のところシークレット。ふひひ。

・好きなものの記録をする。

やっぱり、人は忘れちゃうので。今書きたい記事を書くことも重要だけど、自分の好きを文字に、記録に残して、永遠にしないとねって。合わせて、今年は、アニメ、ゲムー、ラノベとかの『ヲタク』を頑張りたいかな。

・基礎・理論の勉強を頑張る(特に数学)

ちょっと卒業から時間が経ったのもあり、去年、結構、そろそろ基礎・理論の勉強を最近していないなと感じる事が多かったので、今年はちょっと頑張りたい。ただ、独学ってやっぱミスの訂正の意味でも、モチベーションの意味でも難しいので、散々コミュニティで揉めた話をした後に書く話じゃないけど、むぐれしあさんの勉強会とか、なんらかしらの勉強会に参加するようにしたほうがいいんだろうなーって気持ちはあったり。

・週一でデジタルデトックスデーを作る(主にインターナネット)

インターナネットをやめるわけじゃないけど、控えたほうがいいよなって。

・もっちょと運動をする

物理目標。去年の自炊枠。筋肉が少しあるので、そこまで致命的ではないのですが、やっぱり流石に太ったよなってので……。今たまに行ってるプールの頻度増やしたいな。あと、ジムも入った方がいいんだろうなぁ…。応相談。

・お絵描きの練習をする

やっぱ楽しいじゃん、できたら嬉しいじゃん、お絵描き。

・小説を読む

死なないで、私の感性。

 

p.s.

 

ちょっとではないくらい、悲観的で愚痴っぽい振り返りになってしまいましたが、ということで、自分の事を大切にしてくれる人たちのことは、もっともっと、大切にしようと思ったり。好きな人にはちゃんと好きだよって、言ったりね。となことで、みなさま、良き一年を!

*1:やっぱり、どうしても私は許容できる他人の性質が狭いのと、特定の性質を有す人間がやはりとても苦手なので、根本的にオープンコミュニティ、というものが向いていないんだろうな、って。し、それらの人たちと出会ってしまったが最後、基本的に関係が向上することはないし、かといって排除戦闘を行うにも、私は致命的戦闘以外の戦闘にも向いていないので、結局、なるべく早く、初手の近くで『三十六の計、逃げるが易し』、となるわけで。(あるいは逃げるは恥だが役に立つ?)もう少し突っ込んだ話をすると、同好の者である、と、悪意がない、だけを合意形成要項とし、それ以外はインセンティバイゼーションにて成立する共同体が一定以上大きくなると、進化論的な振る舞いをする人たち(多くの人は資本主義的な振る舞いをする人たちと称するかもしれないけど、私は進化論と称したほうが適切だと昨今思ってる)が少なくない数、所属しはじめ、彼らは中で、「如何に悪意というものを持たずして、他人に譲歩行動を促す」戦略への最適化を始めるのだな、となり、まぁ、離れる理由にはなったな、みたいな。


すごい、雑なことを言っていることは承知の上で書くのだけれども、同好会のようなコミュニティは、ゲマインシャフトゲゼルシャフト、どちらでもなく、本質的にはゲノッセンシャフトに近いのだなという感覚は覚えた。

し、となると、『成員のそれぞれの地位というのは平等たる』は『「如何に悪意というものを持たずして、他人に譲歩行動を促す」戦略』により脅かされ始める(尤も、脅かされうるということは、最初から平等ではなかったのでは?という指摘に対しては効果的な反論はできなさそう)。典型的なコミューンの悲劇?そうかもしれない。どちらにせよ、となると、やっぱりそれらの問題を解決する為には、税金、ならびに累進課税的なスキームは必要なんだろうな。

*2:既にわかっていた無理な人たち、あるいはわかりやすく無理な人たちに加えて、イエスとノーに差異がない人が結構無理なことに気づいたかな。結局、その人の善意方位の行動が、私の受け答えに関わらず行われること。かといって、善意で動いている人に、強くノーはノーとも言えず。これに気づいた時、ノー・センキューには、ノーという意思表示と、センキューという善意位置の表明を行っていて、実はその二つに実は機能的な差異はあるのだな、とのことがふと理解できたのは、面白かったかな。とはいえ、その面白みに見合うほどの価値はなかったよな、って。

 

そういう意味では、善意っていうのがやっぱ感情に一致する行動指針なので、大きな存在感を感じた一年ではあったかも。それが大きく人によって違う、というのが大きな悩みの種であったけれども。そういう意味では、人と寄り添い、善意方向を一致させ続けようと努力してきてくれた聖書のありがたみにまた気づけたかも。神に感謝。

*3:あとは、ただの条件表ではありますが、

 


この世にはいろんな人がいて、(あるいは文化的なものかもしれません)、好きなものには好きといって、嫌いなものには口を噤む人、好きなもの嫌いなもの両方に言及する人、嫌いなものにばかり言及する人、何も話さない人。

 

楽しいことの話ばかりをしている人に人々が惹きつけられる、というのは十年来で言われ続けていることではありますが、それとは違った次元の話で、話題の振り方が多種多様なんだな、というのは、ここ二年、比較的浮遊しながら見ていて感じたことかもしれません。

 

狼と香辛料』で一番好きな台詞。そして、小説版よりも漫画版が好きな理由。
(漫画版『狼と香辛料』12巻、P106)

そうではないなら、そうではないだけの話かもしれないのですが、私はそれでも、好きな人には、好きなことには好きと言ってほしいと思っていて、結構、頭の中が上のエルサみたいになってしまったり。色々な人やコミュニティから離れていった際、それは搾取だったり、悪意、害意の結果だったりしたのですが、一つだけ、そのような強い意味がないのに離れていった場所があり、そこから離れた理由の、肌に合わない、を、上手く言語化したら、こんな感じかな、と。

*4:あと、似たような私有世界観の相違の話ならば、『私はあなたを傷つけるかもしれない。その代わりに、あなたは私を傷つけてもいい』という世界観と『私はあなたを傷つけない、その代わりに、あなたは私を傷つけないで』という世界観の。一応、今の私は後者の前提を元に動いているのだけれども、前者の価値観の人とは、どうしても初動で最悪の印象を得て次のステップに行こうなんて気すらおきない、みたいなことはあった感。ちなみに、ちょっと思ったのは、結局前者の世界観の人って、ダメージレースで勝てる自身があるから、選択的に前者の世界観で生きていて、また、故に、傷つかれ損を避けるためにも初動で火力を出すつもりで来る人が多いのかな、みたいなのは思ったりはしました。ただ、こんな事思いながら、結局やってることは自分がやった行動の後付の正当化と、他者への責任転換でしかないので、結局、自分が悪くないと言いたいだけなのでは?という露悪的な自覚はしないとですね。

*5:ずっと書こうと思っている話なのだけれども、インターナネットの人の大半の「孤独でも大丈夫」、だいたい、人間関係の遠近感を詰める、離すタイミングの主導権を自分で握りたい、離れたい時に離れる自由が欲しい、という話にしか聞こえてなくて、(そもそもそうならインターナネットやめれてない?)話半分、耳半分にて眉がつばだらけで最近臭いです。

*6:全然関係ないけど、たしかユングのペルソナ理論と同時期の理論で、外的に見られたい自分という形で複数のペルソナを用意する、と真逆の方向性から、つまり内的性格の多様性から、異なる言動をする、みたいな理論があったと思うのだけれども、これって誰が提唱したものなのか、もし詳しい方が居られたら、教えてくれたりしないかな…?うろ覚えなのだけれども、一意に外的に定義されるのではなく、まず内的に外的に良く見られたいという自分が居て、そこからペルソナに発展していくという話と、そもそも内的衝動によって、違う言動、違う欲求の日がある、(難しい話を考えられる日もあれば、天真爛漫に振る舞いたい日もある)みたいな部分が、すごく自らの身に腑に落ちたから、詳しく調べたいと思って。

*7:どうでもいいけど、言葉が好きって、最上級の好きだよね。私も言われ得るなら、言葉が好きって言われたい。

*8:こういう時に、ふと我に返り、人気のvの者、声が良かったり、愛嬌があったり、色々あれど、根本として、感性が素晴らしいんだな、って思えたり。

*9:インターネット以上にやめれない。クセになってる。

*10:ただの忘備録なのだけれども、ハーバード・ビジネス・レビューで、「ポジティブに捉えることは一般的にパフォーマンスの向上を意味するが、内向的な人間に外向的な人間がやるポジティブ変換を強要すると、むしろパフォーマンスが低下する」的な記事を読んだのは、なんか、あ、やっぱりな、的な気づきがあったり。あとは、結構昨年少し辟易したイベントというか人が、ポジティブ変換すれば、自分の失敗も許されるというか、ポジティブ変換することで、許されに来る人がいて(先の悪意の話にもつながるけど、悪意がなければ、罪はないよね?みたいな)、やらかしたこともだいぶブチギレていた上、その上、許され前提で来る態度もかなり気に食わなかったので、結構強めにブチギレた事も、一応、記録。